奈良製墨組合の設立に至るまで
現在の組合の起こりは明治13年5月に結成された『永香組』(えいこうぐみ)に始まります。
明治5年に学制が発布されて習字が正課にとりあげられ、当時奈良の伝統産業の多くが斜陽の運命をたどる中、墨は順調に伸び、将来に向けて、製墨業の発展を図るために結成されました。奈良の製墨業者44軒が名を連ねています。
明治16年10月、『永香組』をさらに組織強化をするために、31軒の製墨業者のもと、『奈良製墨業組合』が設立されました。
大正2年6月、組合は改組されて『奈良製墨同業組合』となり、30軒の製墨業者が、年間1300万丁の墨の生産を行なっていました。
昭和13年11月、奈良製墨同業組合は改組され、『奈良製墨工業組合』となって、44軒の製墨業者が参加致しました。しかし、戦争の進行と共に昭和16年には15軒に減り、その生産量も1000万丁を下まわるほど衰退致しました。
戦争が終り、昭和22年3月、ようやく奈良の墨づくりも復活の兆しが見えはじめ、当時解散したに等しかった奈良製墨工業組合が、『奈良製墨工業協同組合』として復活致しました。
当時は墨の原材料の調達もままならず、また書道が学校教育からも除外されており、製墨業そのものが瀕死の状態でありました。このため、昭和24年7月、新しく制定された、中小企業等協同組合法にのっとり、奈良製墨工業協同組合を一旦解散し、『奈良製墨協同組合』が29軒の参加をもって設立されました。
62年にわたる活動を続けてきた『奈良製墨協同組合』ですが、発展的組織変更を行うため平成23年3月31日に一旦解散をし、同年4月1日、任意の組合として『奈良製墨組合』が11社の参加をもって設立され、現在9社にて活動を続けています。
これからの奈良製墨組合
奈良製墨協同組合は、昭和24年に発足した奈良製墨協同組合を平成23年3月に発展的組織変更を行い、同年4月より新しい組織として活動を始めました。
日本に墨が伝えられて1300年余、唯一の筆記具として日本の歴史を伝え、文化を育んできた墨も、明治時代西洋化の波に押され、さらに太平洋戦争後は多種多様な筆記具の出現により学校教育、書画芸術分野において、その存在を維持しているのが現状です。
奈良の町でつくられ、奈良の名産として奈良時代から今日まで続いたのは墨の他はわずかばかりです。
奈良のみならず、我国屈指の伝統産業である墨の文化を永く残してゆくためには、さらに技術を練磨し、品質にこだわり、使用される方々の要望・ニーズに適切に応えることのできる墨を生み出すことであると考えています。
奈良製墨組合・奈良製墨協同組合 歴代理事長
奈良製墨組合
# |
氏名 |
組合企業名 |
期間 |
3 |
綿谷 昌訓 |
㈱呉竹 |
平成29年06月1日~ |
2 |
小林 新一 |
喜壽園 |
平成28年04月18日~平成29年05月31日 |
1 |
綿谷 基 |
㈱呉竹 |
平成23年04月01日~平成28年04月18日 |
奈良製墨協同組合
# |
氏名 |
組合企業名 |
期間 |
10 |
上垣 博後 |
玄勝堂 |
平成22年05月28日~平成23年03月31日 |
9 |
松井 淳次 |
(株)古梅園 |
平成20年05月17日~平成22年05月04日 |
8 |
綿谷 正祥 |
(株)呉竹精昇堂 |
平成16年05月24日~平成20年05月16日 |
7 |
松井 茂浩 |
(株)墨運堂 |
平成10年06月23日~平成16年05月23日 |
6 |
島野 敏 |
桂林堂 |
平成04年06月21日~平成10年06月22日 |
5 |
綿谷 勢吉 |
(株)呉竹精昇堂 |
昭和57年05月13日~平成04年06月20日 |
4 |
松井 茂雄 |
(株)墨運堂 |
昭和51年05月11日~昭和57年05月12日 |
3 |
福井 庄八 |
(株)勝栄堂 |
昭和49年05月08日~昭和51年05月10日 |
2 |
中嶋 伊太郎 |
(株)玄林堂 |
昭和27年01月08日~昭和49年05月07日 |
1 |
松井 貞太郎 |
(株)古梅園 |
昭和24年12月20日~昭和27年01月07日 |
奈良製墨組合・奈良製墨協同組合 組合員の変遷
奈良製墨組合
年 |
組合員数 |
平成23年(2011)年 設立 |
11軒 |
平成24~(2012~)年 |
10軒 |
奈良製墨協同組合
年 |
組合員数 |
昭和24(1949)年 設立 |
29軒 |
昭和25~26(1950~1951)年 |
29軒 |
昭和27(1952)年 |
31軒 |
昭和28~29(1953~1954)年 |
30軒 |
昭和30~32(1955~1957)年 |
27軒 |
昭和33(1958)年 |
29軒 |
昭和34(1959)年 |
24軒 |
昭和35~38(1960~1963)年 |
23軒 |
昭和39(1964)年 |
22軒 |
昭和40~46(1956~1971)年 |
20軒 |
昭和47~48(1972~1973)年 |
19軒 |
昭和49~51(1974~1976)年 |
18軒 |
昭和52~62(1977~1987)年 |
18軒 |
昭和63~平成2(1988~1990)年 |
16軒 |
平成3~4(1991~1992)年 |
15軒 |
平成5~7(1993~1995)年 |
14軒 |
平成8~18(1996~2006)年 |
15軒 |
平成19(2007)年 |
13軒 |
平成20~21(2008~2009)年 |
12軒 |
平成22~23(2010~2011)年 |
11軒 |