奈良の墨づくり

奈良の墨づくり >> 奈良の朱墨

 朱墨の原料となる朱は、辰砂(しんしゃ)、丹砂(たんしゃ)と呼ばれ、鉱産物として天然に採掘される貴重品でありました。朱は、水銀が硫黄と反応して化学変化を起こし生ずるもので、硫化第2水銀(HgS)の元素記号をもっています。古くは朱は丹と呼ばれ、万葉集に「青丹よし奈良の都は 咲く花の・・・・」とうたわれた天平時代の平城京の建物や寺社はその柱に丹(朱)がみごとに塗られ、朱色鮮明、輝くばかりでした。また朱は、防腐にもすぐれ、古代中国や我国の貴人の墳墓から大量に朱が発見され、朽果てることのない永遠の世界を演出する貴重な材料でもありました。
 我国では、丹(朱)を産する地には、丹生(にう)と名づけられることが多く、各地にその名が見うけられます。
 このように天然の産物であった朱も、中国において水銀と硫黄を人工的に化学変化させてつくる製法が開発され、我国へは室町末期に九州博多へ伝わってきます。しかしながら朱は大変貴重な品であったために、統制のもとにおかれ、民間人が朱を採掘したり、売買することはご法度として禁止されていました。朱の製法が中国より伝来したにかかわらず、作ることもご法度でした。
 徳川幕府は、慶長14(1609)年にはじめて朱の製造、売買に独占権を認め、堺と江戸に朱座が設けられ、堺の地ではじめて朱の製造が行なわれました、。朱座はその見返りとして多額の税金を上納しています。
 明治時代を迎えて、朱はようやく一般に使用を許され、朱墨で訂正したり、朱で印判を押したりすることができるようになり、たちまちのうちに需要は激増しました。
 奈良において朱墨を作ったのは明治5年、瓦堂町の木下新六が始めてです。明治27年には大阪で朱作りをしていた落合省吾が奈良中筋町に移り住んで朱墨づくりを行いました。この二軒は今もなお朱墨づくりに励んでいます。
 朱には、二種の天然材料があります。ひとつは水銀系の朱、もうひとつは鉄系の朱で、インドの産地ベンガルに由来して、弁柄(べんがら)・紅殻(べにから)と書かれる、酸化第二鉄Fe203です。
 水銀系朱は純粋な朱色を呈しますが、鉄系の朱はやや黒ずんだ紫赤色です。
 朱墨の製法は、墨とほぼ同様で、朱粉と膠を練り合わせ、木型で形を整え、乾燥させます。(図 朱墨のできるまで)
 朱墨も墨と同じように全国で奈良が90%以上を生産する伝統的産品です。

 朱墨のできるまで

朱の粉末に膠液と香料を入れて撹拌混合する。
  混ぜ合わせた固まりを手練りする。
     
 
木型に入れた朱をプレスにかける。
  直射日光に当てず、水分が周囲から平均して抜けるよう注意し、半年〜1年かけて乾燥させる。
     

金箔張り、彩色などで仕上げ典具帖紙に包んで桐箱に入れると仕上がりである。

奈良製墨組合 〒630-8141 奈良市南京終町7-576 株式会社呉竹 総務部内